地旅で国際交流(2) フォーラムは生き残りの危機感から
―国内観光活性化フォーラム開催までの経緯を教えてください。
一般的に旅行が広まったのは昭和45年の大阪万博と言われています。以来、旅行業者が指導力を発揮し各地へお客さんを案内していきました。しかし日本の経済力が上がりバブル期を経て、消費者ニーズは大きく変わっていきます。温泉へ行きゆっくりすればいいというものではなく、目的を明確に持った旅行へと変わっていったのです。「地域とともに地域を元気に」 原点に戻る
地域の芸能文化を訪ねる人もいれば、勉強するための旅行、健康になるための旅行など、単なる物見遊山から自分磨きのための旅行への変化でした。と同時に、インターネットによる旅行の流通システムが大きく変わってきました。
このままではお客さんは離れていく。我々旅行業者が企画・立案・募集という今までの旅づくりでは消費者ニーズについていけない―とすればという問題に直面したわけです。
着地型旅行の発展に向けたビジョンを語った全旅・池田社長
―生き残り策の構築に迫られたわけですね。
今から15年前の当時は、ANTA(全国旅行業協会)会員は6千社あったものの、今までの手法では大きな事業拡大は見出せない。だったら、我々の利点は何かを原点に戻り考えてみました。その利点とは、一生涯にわたって地域住民であり、地域のことを一番理解し、1年間を通じて各種イベントも熟知しているわけです。
つまり、我々が地域の皆さんと一緒になって地元を元気にすることによって、地域がますます光り輝くのではないか、全国からお客さんにまず来てもらうよう地域住民の皆さんと共に知恵を出そう、と思い至ったのです。
ただ問題は、誰が企画をし、どう告知して、誰が送客してくれるのかということでした。我々は大手のように大きな仕事はできないかもしれないし、1社1社でネット事業に参画するのも無理でしょう。だったら全国6千社のANTA会員をネットワークし、各自が自分の地域のことを全国の会員に告知して6千社の会員が地元に送客することはできないだろうか。地域に生かされている我々だからこそ、地元に感謝をし、ご恩返しをしなければならない。地域の皆さん方と地域のために貢献する。それが着地型旅行の発想なのです。
(トラベルニュースat 14年1月25日号)
→地旅で国際交流(3) 継続こそ力なりを実感に続く
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