【小山評定の群像(17)】池田輝政 三英傑のもと生き抜いた姫路宰相
池田輝政にとって徳川家康は親の敵(かたき)だ。1584(天正12)年、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と家康が戦った小牧・長久手の戦いでは、にらみ合いを続ける秀吉に対し、輝政の父、恒興らは家康の背後を突く作戦を提案。秀吉としても織田信長配下での同僚、もともとは先輩格だった恒興を立てる必要もあり、作戦を了承したが、予想の範囲内とばかりに備えていた家康に裏をかかれる。攻撃軍の中で秀吉のおい、秀次の軍が弱いとみて、そこを攻められ、秀次軍は総崩れ。巻き添えで恒興や森長可ら歴戦の武将が討ち死にした。