【次代への名言】幕末維新青春伝編(56)
「赤根(武人)氏が奇兵隊長をしておって、私どもが交際を親密にしておりました当時、隊の者もみなよく帰服しており、もちろん福田氏(良助、当時の奇兵隊参謀)も山県公(有朋(ありとも)、奇兵隊軍監)も、赤根氏を助けてむつまじくやっておられました。それがはからずも、高杉氏(晋作)と論が合わず、高杉氏が赤根氏を罵倒したうえ、功山寺で挙兵したところ、その見込みがはたして当たって-」 長州藩の支藩、長府藩の家老格、時田少輔(ときた・しょうすけ)(光介(みつすけ))はそう証言している。