【紅と白 高杉晋作伝】関厚夫(214)雷電篇 回天(三)
讃岐で、「勤王博徒」として天下に名高い日柳燕石(くさなぎ・えんせき)のもとに潜伏していた晋作は、慶応元(1865)年5月下旬(旧暦)、お(●)う(●)の(●)とともに、馬関(ばかん)(下関)にもどった。開港問題はいまだ尾をひいており、決して身の安全が保障されたわけではなかったが、前年夏の「蛤御門(はまぐりごもん)の変」以来、行方不明になっていた桂小五郎が生還した、との報をえたからだった。
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