【紅と白 高杉晋作伝】関厚夫(154)奇妙篇 意外(四)
文久4年2月20日(旧暦)、年号は元治(げんじ)と改元された。この年は、60を数える暦年用の干支(えと)のはじまりである「甲子(かっし)」にあたり、変乱が多いとされる。このため、天下泰平を祈り、易経のなかの《乾元用九(けんげんようきゅう)(健(すこやか)で仁、かつ宇宙の根源の一つ・陽を善用すること)、天下治まる也(なり)》の一文から「元」と「治」をとることで朝廷と幕府が一致した。が、やはり変乱の年であり、また長州藩にとっては藩史始まって以来の変乱期となる。