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GO!伊豆大島 首都東京の火山へ(2) 火山とある島の歴史

GO!伊豆大島 首都東京の火山へ(2) 火山とある島の歴史
東京から120キロ。東海汽船の高速船で竹芝ふ頭から伊豆大島までは約2時間。伊豆大島は今回が2回目。前回は山頂口展望台から眺めただけの三原山。なかなか胸躍る眺めで、いつか歩いてみたいと思っていた。ガイドと喜びを共有 今回歩いたのは、三原山山頂口から火口、裏砂漠を経て大島温泉ホテルまでの約8キロのコース。マップでは約3時間のコースと紹介されているが、途中お弁当を食べたり、ガイドの濃密な案内を聞きながらの行程で、実際には4時間以上かかった。しかし、この増えた1時間分はとても価値あるものになった。 山頂口から三原山 ガイドの西谷香奈さん(大島ネイチャーガイドクラブ)は大島の診療所に看護婦として赴任。看護婦退職後、20年ほど前にダイビングガイドに転身、6年ほど前からはフィールドを地上にも広げ、今は、毎日のように三原山を歩いている。 三原山の自然とカメラが好きで、ツアー中もゲストよりたくさん植物や虫、溶岩や景色の写真を撮り、ゲストよりたくさん、「今日の」大島の景色に感嘆の声を上げていた。 「まあかわいい葉っぱ」「かっこいい形の溶岩」「ススキが金色に輝いている」。ゲストたちは、こうした西谷さんの小さな叫びに何度となく駆けより、額を寄せ集め、葉脈や砂地の風紋にさえ感動する西谷さんガイディングにはまっていった。 西谷さんは喜びを共有させることに長けているだけではなく、ゲストからのすべての質問への答えを持っていた。 伊豆大島では今の三原山を形づくった1777年の大噴火以降、30―40年おきにカルデラ内で溶岩流を伴う噴火を繰り返してきた。島民にとって、噴火は珍しいことではなく、噴火がカルデラ内で起きる限りは見学や遊びの対象でさえあった。溶岩流の先端で真っ赤なドロドロに棒を突っ込んでかき回し、冷やして作った溶岩灰皿が多くの家庭にあったそうだ。 ところが1986年の三原山の噴火では全島民が島外に避難している。このときは割れ目噴火がカルデラ内だけでなく、500年ぶりに外輪山の外側でも起きた。元町集落の数百メートルまで迫った溶岩流はウォーキングの翌日に見に行った。 弁当を食べた「三角の塚」 (阿部政利) →GO!伊豆大島 首都東京の火山へ(3) ジオガイドと歩こうに続く 1 | 2 | 3
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