【紅と白 高杉晋作伝】関厚夫(103)狂生篇 脱藩(五)
晋作が上海から長崎港に帰ってきたのは文久2(1862)年7月14日(旧暦)。そこでオランダから蒸気船1隻を買う手配をした(後日、大問題になる)あと、萩に戻った。そして翌8月、「まず大殿様(おおとのさま)(毛利慶親(よしちか))が滞在されている京都藩邸にゆき、その後、汝(なんじ)が小姓役を務める若殿様(わかとのさま)(定広)がおられる江戸にむかうように」との藩命がくだり、すぐさま出立した。
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