【次代への名言】司馬さん、遼(はるか)なり編(16)
《「武士の勃興」/という呼び方で日本史上の最大の土着集団の出現が、このばかばかしい律令体制をずたずたにしてしまい、鎌倉幕府という、土着者の利益を代表する体制ができて日本史はアジア的なものから解放された》 『街道をゆく 韓(から)のくに紀行』のなかの一節である。ここでいう「アジア的なもの」とは司馬さんが《儒教的中国体制》と呼んだ、硬直的で、官吏による汚職がシステム化された国家のことだ。司馬さんは、平安時代の地方長官である受領を例に取り、《かれらは転べば土でも懐ろに入れようとした。それは悪ではなく、正統な経済行為であり、ときには甲斐性(かいしょう)とされた》と論じている。