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125年ぶりによみがえった古座街道へ 和歌山県

125年ぶりによみがえった古座街道へ 和歌山県
廃道になっていた街道を8年かけて復元した和歌山県串本町の神保圭志さんがこのほど、トラベルニュース社大阪本社を訪れ、125年ぶりによみがえった「古座街道」を紹介した。古座街道は和歌山県南部、田辺と古座を結ぶ約80キロ。古くは熊野中道とも呼ばれ、熊野詣でのバイパス的な役割を担っていた。明治に入り本格的な道普請が始まったが、1889年の大水害に見舞われた。以後、海沿いの大辺路(おおへち)に国道が整備され、古座街道はそのほとんどが廃れてしまった。 神保さんは、地元図書館の学芸員の講演で古座街道の存在を知った。江戸末期から明治初期に僧や歌人として活躍した天田愚庵が「巡礼日記」の中に古座街道を記していたという。「愚庵という人は山岡鉄舟や清水次郎長の養子になった人で、東海任侠伝という本で次郎長を世に知らしめた人です。正岡子規の師匠にも当たる人なんです」。実父母の弔いに西国三十三カ所を巡った愚庵は相当難儀をして街道を歩いたらしい。 今では地図にも載らない空白地帯だが「これは地域活性化につながるかも」と神保さんは思い立った。そうして、地元NPOや学生など有志を募り街道の復元に取り組み始めた。それが8年前。 「ウバメガシのトンネルや石工の見事な技を伝える石組み、古の往来を伝える石仏など人の手が入り変化に富んだ表情を見せる道がかろうじて残っていました。朽ちた丸太橋を架け替え、散逸した石畳を敷き直すことなどをしてきました」 復元作業中には朝日新聞の読者アンケートで「行ってみたい日本一の街道」の1位に選ばれた。司馬遼太郎さんも「街道をゆく」で古座街道の一端を書き、古座川沿いに別荘を建てるほどこの街道を愛したという。さらに、昨年夏には、高さ100メートル幅500メートルの「一枚岩」など街道沿いの多くの巨岩、奇岩が日本ジオパークに認定された。 神保さんと同行したわかやま旅企画の近藤政幸さんは古座街道をこう絶賛する。「中辺路や高野山の街道とはまったく異なり、素のままの参詣道です。自然、文化、山里の暮らしぶりが体感できる稀有な道です。延長80キロに看板はもちろん、信号も一切ありません」。 わかやま旅企画では古座街道を着地型旅行として売り出し、すでに数社がウオーキングツアーとしてシリーズ化。地元食材を使った弁当、ガイドなどの手配も可能だ。 神保さんは「大型バスが入れないので人数は限られます。細く長く続けることができれば。ぜひ一度、古座街道を歩いてみてください」。 和歌山県の皆さん
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