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桜島の噴火を見たか-鹿児島市を行く(3) 斉彬はすごい

桜島の噴火を見たか-鹿児島市を行く(3) 斉彬はすごい
最初の訪問地だった仙巌園に戻ろう。鹿児島藩主だった島津家の別邸であり、現在は島津家32代当主の島津修久さんが代表を務める島津興業が所有・運営する。「薩摩は文化と技術の国」 正面には桜島を望む。350年の歴史ある別邸は、御殿や庭園などとともに、当時の琉球や琉球を通じた中国との交易の舞台でもあった。隣接する集成館などと合せて、薩摩の先見性や近代性、世界観を表すものとして展示、運営されている。 集成館は1851年、薩摩藩主となった28代当主斉彬が近代工業化を進めようと集成館事業として着手した。別邸である仙巌園に隣に、日本初の近代化工業地帯を開発。鉄を溶かすための反射炉、造船所、紡績所、ガラス工場などを営んだ。 国重文の尚古集成館本館 世界遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産」群には、このうち旧集成館、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館の3つが記載されている。 普通、明治維新における薩摩の偉人といえば、西郷隆盛や大久保利通ら藩士にスポットは当たる。しかし、ここでは殿様である島津家からみた藩政運営に光があてられる。 江戸期、薩摩藩は人口の25%が士族で、日本中の武士の10人に1人は薩摩の侍だったそうだ。200年以上に渡って、これだけの藩を経営するには藩主に卓越した経営感覚がなければ務まらない。 そうした藩主の系譜にあって時代の変わり目の幕末に現れたのが斉彬だった。近代化・工業化で日本の植民地化を逃れようと、海外に目を開き殖産興業に努め、大砲をつくる傍ら薩摩切子と呼ばれる独特のガラス製法を開発した。 薩摩切子の工場を見学 園内ガイドツアーが1回30分、1日6回行われている。「薩摩は文化と技術の国」と説く、郷土愛熱いガイドが、薩摩についての認識を新たにしてくれる。 →桜島の噴火を見たか-鹿児島市を行く(1) ジオと産業革命遺産の旅に戻る 1 | 2 | 3
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