【鈍機翁のため息】(45)風車の冒険 VI 不合理ゆえに吾信ず
前回、風車の冒険を中世と近代の激突、そして中世の敗北と読めなくもないと書いた。現代ではそういう読み方を敷衍(ふえん)して、風車を原発のような科学文明に置きかえて、それに抗(あらが)う自分をキホーテに見立てる人もいる。いい気なものだ。いや、傲慢でさえある。はっきり言おう、デカルト以降の世界でキホーテになれる人間などいるはずがないのだ。
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