【次代への名言】剣豪・名将・賢君 物語編(1)
豊臣秀吉の軍師で、「智謀随一」と呼ばれた黒田如水(孝高(よしたか))は1604年春、死の床にあった。彼は、関ケ原の戦功で石高にして元の領地の約4倍にあたる筑前の国50万石を与えられた跡取り、長政を前に「汝(なんじ)には我(われ)に勝(まさ)る事があるが、我にも、汝に勝る事が2つある」と前置きして語り始めた。
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