【本郷和人の日本史ナナメ読み】(39)「得したのは誰か?」で史料を読む
元久2(1205)年、鎌倉武士の中の鎌倉武士、畠山重忠と一族が滅んでいきました。畠山氏の抹殺を強引に推し進めた北条時政への批判が、御家人の中で高まります。直後に娘婿である平賀朝雅(ともまさ)を源実朝に代え、将軍に擁立しようとした時政の陰謀が露見。子息の北条義時は時政を引退させて、執権の地位を引きつぎました。時政は伊豆に追放され、朝雅は京都で討たれました。そう、『吾妻鏡』は記しています。
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