【紅と白 高杉晋作伝】関厚夫(195)雷電篇 西郷(八)
「薩長の和解、そして薩摩・長州・福岡による3藩連合を樹立することこそ、日(ひ)の本(もと)のくにがとるべき道である」 と、月形洗蔵(つきがた・せんぞう)をはじめとする福岡藩の勤王派は考えていた。元治(げんじ)元(1864)年の師走、その月形と福岡藩医、早川養敬(ようけい)らは、征長副総督の松平茂昭(もちあき)(越前福井藩主)が本営をおく北九州・小倉と、関門海峡をはさんでそれに対峙(たいじ)する長州藩最大の海港・馬関(ばかん)(下関)との間をしきりに往復していた。