【紅と白 高杉晋作伝】関厚夫(114)狂生篇 暴走(一)
晋作や聞多(ぶんた)たちによる外国人公使襲撃計画は、文久2(1862)年11月13日深夜、長州藩世子・毛利定広が“一味”を説得することによって未然についえた。だが、「めでたし めでたし」とはならなかった。あとから駆けつけた行相府(ぎょうしょうふ)手元役、周布政之助(すふまさのすけ)が一大舌禍事件をおこすのである。
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