【話の肖像画】がん医療 過去から未来へ(下)がん研有明病院長・門田守人
門田 なかった。30年前というと、私が米国から大阪大学に帰った頃です。当時、がん治療で一番違和感があったのは、告知の遅れでした。主治医も家族も病気を知っているのに、患者だけが知らないのは論外です。医者だから、そう思うのかもしれないが、自分の病気の治療方針や運命が、自分以外のところで決まるのはナンセンスだと思った。自分の生き死にに納得し、覚悟もし、選択もする、そのくらいの権利はあって当たり前ではないかと。だから、僕は早い時期から告知派でした。